暗い日曜日を聞きながら
お久しぶりです
がんばれちゃんです。
かなり時間が空いてしまいましたね。色々ゲームでだらけたり絵は2枚しか描けていなかったりといろいろと悲しい状況です。
実は一週間くらい前からうつ思考がぶり返していまして。
今日も正午くらい泣いていたのですがもう目もいたいし頭も痛いしでもうそろそろ言語化しようと思ってここに書き込むことにしました。なのでここから先はただの愚痴や現状や自分の感情の言語化です。すみません。
※毒親というキーワードが分かって、尚且つ暗い気持ちになりたい人だけ見てください。
今回は珍しくごはんを食べる気がなくなったところから始まりました。先月は気分がふさぎ込むというよりかは37~38度の熱がひと月ずっと出ているといった感じだったので、自律神経が壊れている以外の被害がなく、安心していたのですが。
食べずにいると2日で3キロ痩せました。さすがに2日で動悸と寒気と熱さが止まらなくなったのでご飯を食べました。小学校の時の体重に戻ったので少し笑いました。
それが終わってからは泣きどおしです。
原因は多分来週の帰省だと思います。家に帰りたくないのです。
私は親が嫌いで好きです。家の中は安心と恐怖がありました。
大人になるにつれて変化はありますが、場面場面でされたことを思い出して、今泣いています。この間親からの食糧の仕送りが届きました。してくれたことと、されたことが、許したいことと、許せないことが、私を辛くします。
言語化が難しいのですが、わかる人にだけわかればいいと思って書きます。
家って難しいですよね。
家という言葉を聞くと、いろんな場面の状況を思い出します。幼稚園と小学生の頃の私、泣いているお母さんとお母さんを殴るお父さんを見て、泣いて口をふさがれて、お前の躾が悪い、離婚してやる、警察を呼ぶ、将来お父さんを殺そうねと言う言葉を、家という牢獄を思い出します。
中学生の私、高校生の私も、母親の無視や舌打ち、父のからかいと言う名の暴力、キレられることに対しての怯え、兄弟間での不平等、性的なところを触られたこと、尊厳のない家の事を思い出します。
でも、安心するのです。辛い時は一番の味方になってくれた、絵本を読んでくれた、看病をしてくれた、お金を出してくれた、本屋に連れて行ってくれた、私の成功を喜んでくれた、愛情がありました。
私は嫌いで憎くてそれでも好きなのです。そして愛情が欲しいと思ってしまう。
それが今嫌で仕方がない。これ以上傷つきたくない、でも愛されたいと思ってしまう自分がいやでしょうがない。
親の愛情がアンビバレンスなものだとわかっていて、それは親自身の家庭環境や、心の歪みであること、事情があったということも理解しながら、それを受けた私は許せないと嘆いている。
ただ一言、「あの時はごめん」と、そう言われたい。
でも、それを言われても、受け止めて、許すことが私にはできない。
許した時点で、あの日熱くなるほど頬を叩かれた私は死ぬのです。あの日の、苦痛に勝てなかった、尊厳のない泣くことも家の外に出ることも許されなかった私は死ぬ。
組み敷かれて絶望して、泣き叫んだ私は死にます。
幸い私のところは、性欲ではなく、からかいとして性を嫌悪させて怒らせ泣かせることを目的として、性器に触ったり風呂を覗いたりしていたので、そういったことはありませんでしたが、大人の男の力に勝てないということの絶望感は嫌というほど味わいました。
でも、その腕が私を安心させるものでした。今もそうだと思います。
母親に関しても、他の兄弟と同じように、私を見て、笑いかけてくれたらとそう思います。私の中で、愛情が不足しているのは、私に対して無関心だった母親の方なので、今回そう思えたのが不思議です。母親とは本当に関係が終わってしまっていて、相手も私も憎い相手として互いを見ているのですが、私自身本当はこう思っているらしく。
でもやっぱり、陰口を言い、身体的なことをけなしたり、女子のいじめっ子がするように露骨に態度を変えたり、くさいといったり、はてには私の彼氏の悪口を言うような人間を、到底許したりはできません。
親は、逃れることのできない血と記憶の鎖です。
どれだけ私がつらいことをされたとしても、私の心が壊れても、それでも親を無条件に好きなのです。
そして、その事実が、記憶が、ずっとずっと私の意識をむしばみます。
これから先、ずっと親孝行という言葉に、母の日、父の日という言葉に苦しめられると思います。ずっとそうだったからです。
親を愛せない自分が嫌で、ちゃんと愛してくれなかったあの頃の親を恨み、今の親を嫌い、親を許せない自分も嫌い、ずっとそのままです。そのままは嫌ですが、でも親を許すことはできません。起こってしまったことを変えるのはもっと無理です。
そして、私も血として二人の部分を引き継いでいます。
私もきっと、からかいと称して使ったティッシュを顔にぶつけ、ペットボトルで叩き、つねり、他の子と比べたり、無視したり、子供に向かって失敗作というような母親になるのだと、そう思います。
強者が弱者をからかったり無視して、苦しむ姿をみて嘲笑する。それを『かわいい』と思う、そういう考え方が私にもあると気が付いたのは割と最近です。
万能感や、関係の優位性、そういったものが、心地いいのです。
そして、反撃されたとき、一気にねじ伏せる。
それが快感なのです。
されてきて嫌だったことが、私にもきちんと備わっています。
私は彼氏を嫉妬させた時、そのことに気が付きました。
怒らせて、私に怒った顔、嫌がっている顔、泣いている顔を見せてほしい、何なら暴力を受けたいと思いました。
虐待は連鎖するのかもしれません。怒らせるためにそれをしているわけですから。
そして、母のようにあら捜しをして嘲笑うために、比較対象を見つけたり、徹底的に無視したりするのでしょう。
私はあの二人のようなクズにはなりたくはないのですが、そうならない自信は全くありません。
自覚してからは、彼氏にいろんなことを告白して、そういったことがないようにしていますが、今はまだ「彼氏」というカテゴリーにいるだけだから、私の暴力性や残虐性が発揮していないだけかもと思うと、本当に恐ろしくなります。家庭を持つのが怖い。
うちの兄弟はみんなどこかしら病んでおり、みんな結婚もしないし子供も産みたくないといっています。まだみんな20前後なのに。
一番つらかったことは、兄弟がまだ自分の親が毒親ではないと思っていた時に私が電話で泣いてしまって、兄弟もそこで気づいてしまって、そのまま依存先を知らない複数の男性との行為に求めたことです。
彼女はまだ自分が何をして、何を失ったのか気が付いていません。究極の自傷行為だと思います。辛くて辛くて、もうどうしたらいいのかわかりませんでした。
なんでこうなってしまったんだろうってずっと考えていました。私が、あの時電話をしなければ、とも思います。今でもそう思います。
今私ができることは彼女が家を出る手伝いをすることくらいです。
こうやって書くと、親の侮辱、攻撃性によって他人がつらい目にあったり、つらい道を選択している時、私は親を正当に、クズだと評価できるみたいです。
先ほど、親の事情と書きましたが、親も親から借金という虐待を受けていました。いまは絶縁していますが、同じようなことをしているとは夢にも思っていません。
こうも身近で虐待の連鎖を見てしまうと、私たち兄弟に結婚願望がなくなるのも納得です。
さて、自分の感情がかけてだんだんと落ち着いてきました。
多分文章も割と支離滅裂なものから変わってきたと思います。
では、ここからは死にたい、心がつらい時におすすめの曲を紹介します。
なぜ曲なのかというと、音楽には自分の心を代弁したり、寄り添ったり、吹き飛ばしてくれる力があるからです。吹き飛ばす曲は死にたいときには劇薬なので、死にたい気持ちを増幅させる曲を今回は紹介します。
辛い気持ちを増幅させると、つらい気持ちに浸れます。暗い静かな孤独が、悲しい気持ちをどこかいやしてくれるように、優しい悲しい曲は心の癒しになります。
まずはタイトルにもある、『暗い日曜日』
聞いた人は自殺すると有名な曲です。原曲はオーラがすごいのですが、今回は歌詞のやるせなさがすごくわかりやすいこちらのバージョンをおすすめします。
多分、このブログを見てしまうような人は一度くらいは自分が死んだことを想像したことがあると思うんですね。「僕だけがいない町」のような、私だけが死んだ後の世界を切望した人間、そして、死んだ自分を見て、周りの人間が悲しんでくれることを想像したことがある人は、この歌詞に共感できると思います。
次は、『沈める街』
この曲も多分メンタルが死んでいる人間にはとても有名だと思います。倉橋ヨエコさんの曲はポジティブな曲調にネガティブな心境の歌詞をのせるところです。
この曲は本当に悲観的と断定的な部分が多いネガティブな曲ですが、そこがとても心地よいのです。この人の曲はだいたい鬱々としている心境を歌詞にしているものが多いので一度聞いてみるといいと思います。
さて、あまり思いつかなかったのでここらへんで終わりにしますが、一つ注意点があります。
元気な時にはこの二つ、大幅にHPを削る苦しい曲へと早変わりするので、つらい時以外に聞くと大変なことになります。その点だけ気を付けてください。
ちょっと辛いかも…?という時に聞けばいいのは、気分がノリノリになれる楽しい曲です。
多分ですが、自分の内部事情を誰にも話せなかったり、認められない人が多いと思うので、そういった人は曲とか小説に自己を投影したり、あるいは一人で言語化してみてください。そうしないといつか壊れますよ。
以上です。
でもやっぱり親は尊敬してるし好きなんだなぁ 死ぬしかねえ!
あとプリコネ、キャル星3なりました。
では。